プロフィール

安心できる場所が欲しかっただけなのに・・・

ずっと苦しさにフタをしてきた私の人生!

はじめまして。
心理×スピリチュアル
やさしい「自分対話術」カウンセラーの
**星野友紀(ほしの ゆき)**です。

もし今、
「ちゃんと頑張ってきたはずなのに、なぜか苦しい」
「つい自分を責めてしまう」
そんな思いを抱えているなら、少しだけ続きを読んでみてください。

私は長い間、
大丈夫なふりをして生きてきました。
本音を飲み込み、笑顔でやり過ごしながら、
心の奥ではずっと苦しさを抱えていました。

でも、自分の心と向き合うことを知ったとき、
人生は静かに、でも確かに変わり始めたのです。

なぜ私がこの仕事をしているのか。
それは、かつての私自身が
迷い、傷つき、それでも立ち上がってきたから。

ここから先は、
私がこの道を歩むことになった理由を
少しずつお話しします。

詳しいプロフィール

目次

アダルトチルドレンの根源が生まれた幼少期

うちは普通の家庭だと思っていました
きっと、そう思って育った人は少なくないと思います。

私の家も、外から見れば
“仲の良さそうな、温かい家族”に見えていたはずです。
でも、今振り返ると、それは本音を隠した“仮面の家族”でした。

私は外で体を動かすことが大好きな子どもでした。
特に小学校3年生でスポーツクラブに通い始めた頃は、
仲間ができて、夢中になれる時間があって、
ここにいると安心できる
そんな感覚を初めて知った気がします。

けれど、その楽しい時間は長くは続きませんでした。

クラブの中には、厳しい縦社会があり、
先輩からのいじめ、指導者からの体罰や怒鳴り声。
家に帰れば、躾という名の厳しさが当たり前で、
ビンタや家から締め出されることも珍しくありませんでした。

どんなに頑張っても、
すごいね」「よくやったね」と
言われた記憶はほとんどありません。

それでも私は、
外では明るくて元気な子を必死に演じていました。
弱音を吐くことも、甘えることもできず
「大丈夫なふり」がいつの間にか癖になっていたのです。

母は世間体をとても気にする人で、
いつも誰かと比べていました。
「〇〇ちゃんはすごいのに」
「どうしてあなたはできないの?」
その言葉が、私の中に静かに積もっていきました。

父は仕事が忙しく、家にいないことが多く、
夫婦喧嘩が増えるにつれて、
家の中は常にピリピリした空気に包まれていました。

私たち姉弟は、それぞれ部屋にこもり、
何も感じないようにする」ことで
自分を守るしかなかったのだと思います。

全国大会でいい結果を出しても、
「上には上がいる」
そう言われ続けた私は、
いつしか
・頑張っても認められない
・失敗したら責められる
・比べられるのが怖い
そんな思い込みを、心の奥に抱えるようになっていました

いつも誰かと比べていた学生時代

中学から高校にかけて、
私の家の中は、いちばん苦しい状態になっていきました。

ほぼ毎日のように聞こえてくる、父と母のケンカの声。
少しでもその気配を感じると、
リビングからそれぞれの部屋へと静かに避難するのが日常でした。

「早く終わってほしい」
ただそれだけを願って、
息をひそめるように過ごしていたことを覚えています。

そんな不安定な家庭の中で、
私自身の心も、少しずつ揺れ動いていきました。

学校では、いつの間にか
誰かと比べて、自分の価値をはかる
ようになっていました。

「この子よりテストの点数がいい」
「でも、私は目が小さくてブスだ」
そんなふうに、比べては一喜一憂し、
気づけば“ないもの”ばかりに目が向く毎日。

友達と一緒にいても、
心のどこかで無意識に比べてしまう。
「この子には敵わないな」
「友達が多くていいな」

そう思うたびに、胸の奥がきゅっと苦しくなって、
気持ちのアップダウンが激しくなり、
学校に行くことさえ、つらくて仕方ありませんでした。

「自分ができないから仕方ない」
「私には才能なんてない」
「全部、私が悪いんだ」

そんな言葉を、
何度も何度も自分に言い聞かせるよう
生きていました。

でも、本当は――
心の奥では、ずっと思っていたんです。

褒めてほしかった。
認めてほしかった。
ただ、それだけだったのに。

それすら叶わない気がして、
私は少しずつ、
「自分が生きている意味」
見失っていったのだと思います。

やりたいことがあっても出来ずに大学へ進学

高校3年生のとき、
私は進路が決められず、ひとりで悩んでいました。

そんな私を見て、部活動の先生が声をかけてくれました。
「体育大学、どうだ?」と。

正直なところ、
もう選手として続ける気力は残っていませんでした。

それを察した先生は、
「選手じゃなくてもいい。
サポートする側の勉強もできるんだぞ」
そう言ってくれました。

その言葉に、
それなら、やってみたい
と、初めて心が少し動いたのを覚えています。

勇気を出して、両親に相談しました。

父は、「何でもやってみればいいじゃないか」と、
背中を押してくれました。

でも、母は違いました。

「絶対にダメ」
「家から通えるところにしなさい」
「東京なんてもってのほか」
「変な虫がついたらどうするの?」
「危ないからダメ」

どれだけ気持ちを伝えても、
母の答えは変わりませんでした。

その日から、また両親の言い争いが始まりました。
私が話題を出したせいで、
家の空気はさらに重くなっていった。

その空気に、もう耐えられなくなって――
私は、自分の気持ちを引っ込めることを選びました。

「私が我慢すればいい」
「私が折れれば、家は平和になる」

そう思って、
地元の学校へ進学する道を選びました。

本当は、
自分の人生を、自分で選びたかった
ただ、それだけだったのに。それすらできない自分が嫌いだった。

他人の評価が怖くて頑張った社会人時代

就職先は、驚くほど早く決まりました。
でも、入社してみてわかったのは、そこがいわゆるブラック企業だったということ。

体調を崩して病欠しても、
「じゃあ別の日に出勤して調整してね」
それが当たり前。

ノルマは、
達成できて当たり前。
できなければ、すぐ個別ミーティング。

年末年始の休みもなく、
長期休暇なんて夢のまた夢。

それでも私は、
「できない自分が悪いんだ」
そうやって、必死に自分を追い込んでいきました。

後輩が入ってくると、
今度は先輩と後輩の板挟み。

上司から頼まれると、
本当は無理でやりたくないのに、
できます」「やります
と、空気を読んで言ってしまう。

「君はできる子だから」
その言葉に縛られて、
“できる人”でい続けなければいけない
そんな思い込みが、どんどん強くなっていきました。

私がやらなきゃ、みんなに迷惑がかかる。
私が我慢すれば、うまく回る。

お客様とのトラブルも、
誰にも相談できず、
怒られるのはいつも私。

そうやって、
自分を奮い立たせては、
周りに頼ることができないまま、
ひとりで抱え込んでいきました。

そして最後は、
「私が悪かったんだな」
と、すべてを自分のせいにする。

上司の評価、周りの目、評判ばかりが気になって、
心はどんどん追い詰められていきました。

夜になると、理由もなく涙が出たり、
衝動的に買い物に走って、
一瞬だけ気を紛らわせては・・・
また、同じ毎日を繰り返す。

私は、何のために頑張っているんだろう…
そんな問いが、
心の奥で小さく、でも確かに鳴り続けていました。

心が満たされない恋愛

社会人になり、
それなりに出会いもあり、恋愛もしました。

付き合い始めの頃は、
毎日が楽しくて、世界が明るく見えて
「この人となら、なんでも頑張れる」
そんな気持ちになっていました。

でも、付き合いが長くなるにつれて、
私は少しずつ相手中心の自分になっていきました。

相手の言うことを優先して、
相手の機嫌を気にして、
自分の気持ちは後回し。

それが「尽くすこと」だと信じていた私は、
知らないうちに“ダメンズを育てている”
そんな恋愛を繰り返していました。

気づけば、相手は束縛が強くなり、
DV気質のある人ばかり。

連絡がいつもの時間に来ないだけで、
不安と怒りが一気に押し寄せてきて、

「浮気してるんじゃないか」
「もう私に気持ちがないんじゃないか」

そんな妄想が止まらず、
イライラして、疑って、ケンカになる。

そしてまた、
自分とよく似た心の状態の人
を選んで、同じ苦しさを味わう。

本当なら、
好き同士で、
思いやり合って、
笑顔で穏やかに過ごせるはずなのに。

自分に自信がない私は、
相手の気持ちを試すようなことばかりしていました。

「本当に私のこと好き?」
「どれくらい大事?」

そんな確認の仕方は、
いつしか相手を傷つけ、
同じことを返されて、
関係は壊れていく。

愛を確かめる方法が、間違っていた
そう気づいたときには、
もう終わりを迎えていました。

振り返ると、
毎回同じパターンの恋愛。

ただ、
愛されたかった。
認めてほしかった。

その気持ちが強すぎて、
依存と執着になり、

「私は幸せになれない人なんだ」
そんな思い込みを、
心の奥に植えつけてしまったのです。

我慢ばかりの結婚生活(死にかけた出産)

やっと結婚して、
「これで私にも居場所ができた」
そう思えたのは、ほんの束の間でした。

夫は亭主関白気質。
お米を炊くことも、洗濯物を取り込むこともなく、
家事はすべて“私の仕事”

「俺が稼いだ金だろ」
生活費でさえ、夫にとっては“自分のお金”。

お金のことでケンカになり、
新婚わずか2か月で別居が始まりました。

連絡が来ることも、
迎えに来てくれることもなく…。

「なんで結婚したんだろう」
そう思いながらも、
世間体を気にして、私から戻りました。

それからは、
出かける場所も時間も報告と許可が必要。
毎日作ったお弁当は、
手をつけられないまま持ち帰られ、捨てられる。

夜中に帰ってきても、
温かいご飯がないと不機嫌になる。

頼みごとをしても、
「仕事で疲れてる」の一言。

掃除は「汚れるから無理」。
旅行の準備も予約も、全部私。

不満と我慢の連続でした。

そんな中、赤ちゃんを授かりました。

「子どもができたら、きっと変わってくれる」
そう信じたかった。

嬉しさと不安が入り混じる中、
検診で性別がわかった日。

夫の口から出た言葉は、
「男の子がよかった…」

急に、涙があふれました。

「冗談だよ」と笑う夫。
でも、その一言は、
私の心を深く傷つけました

それでも、
「私さえ我慢すれば平穏に暮らせる」
そう思い込み、
言いたいことを飲み込み、
夫の顔色を伺いながら家事を続けていました。

妊娠8か月に入ったある朝。
定期検診で夫と病院へ行く予定の日。

私は突然、
キッチンで倒れ、意識を失いました

次に目を覚ましたのは、
翌朝のICU。
たくさんの人に囲まれていました。

そこから、
私と赤ちゃんの入院生活が始まりました。

NICUで見た、
管だらけの小さな体。

「生きていてくれてよかった」
そう思う一方で、

「もしかしたら、助からない方が幸せだったかも」
そんな気持ちさえ浮かび、
病室で一人、毎日泣いていました。

「ちゃんと産んであげられなかった」
「目が見えなかったら…」
「声が出なかったら…」

全部、私のせい
そんな思いで心がいっぱいでした。

「どうして私ばかり…」
自分を責め続ける日々。

そしてこの頃から、
人の感情や考えが
直感的に伝わってくるような感覚が強くなり、

ますます人の顔色を伺い、
心も体も、疲れ切っていきました。

今振り返ると、
この出来事こそが、
私がスピリチュアルの世界に出会う
大きなきっかけだったのだと思います。

子育て中に夫婦関係に亀裂・・・離婚

子どもが幼稚園の年長さんになる頃、
夫は転職をきっかけに、職場でいじめに遭い、
うつ病を発症して働けなくなりました

「消えてしまいたい」
そんな言葉を口にするようになり、

夜中、家族で眠っていると突然叫び声をあげたり、
眠れずに大きなため息をついたり、
呼吸が苦しくなったり…。

その様子に、
私も、子どもも、心が不安定</span>になっていきました。

ある日、
子どもが幼稚園の先生に
「どうしたらパパは笑顔になりますか?」
と相談していたことを知りました。

先生からは
「ご家庭で何かありましたか?
最近、お子さんが不安定で、お漏らしも増えています」
と声をかけられました。

胸が締めつけられました。

私自身も、
ママ友付き合いや
見えないママ友カーストに疲れ果てていました。

それでも――

「私がしっかりしなきゃ」
「私が守らなきゃ」
「私が頑張らなきゃ」
「全部、私が悪いんだ」

そう思い込んで、
一人で泣いて、
歯を食いしばって耐えていました。

どうにか夫の再就職が決まり、
「これで少しは落ち着くかもしれない」
そう思ったのも束の間。

夫は、
思い通りにならない子どもに
躾という名の暴力・・手をあげるようになっていきました

そして私は、気づかないうちに、
かつての母と同じように、

「なんでできないの?」
「こうしなさい!」

と、
他の子と比べて責める母親になっていました。

その瞬間、胸の奥で何かが崩れ落ちました

――もう限界。

そうして、
私たちは離婚という選択に至りました。

「やっぱり私は、
いい妻にも、
いい母親にもなれなかった」

歴史は繰り返され
そんな現実が、
ただただ悲しく、重く、のしかかっていました。

焦りと不安だらけのシングルマザー奮闘記

離婚をして、
私はシングルマザーになりました。

専業主婦だった私の頭の中は、
不安と焦りでいっぱいでした。

「子どもたちを食べさせていかなきゃ」
「私が頑張らなきゃ」

誰に言われたわけでもないのに
全部の責任を一人で背負い込んで
必死に走り続けていました。

市役所、ハローワークに通い、
学校のPTA、自治会、子ども会の役員、
習い事の送迎…。

身も心も限界なのに、
「休んでる場合じゃない」
そうやって自分を追い立てていました。

まずは就職活動。
専業主婦になって5年。
再び社会に出ることが怖くて、
派遣社員として働き始めました。

すると、
「社員にしたいくらいです!」
そんな言葉をもらえるようになり、
働くことが楽しくなって、自信も戻ってきました。

「もう一度、正社員を目指そう」
そう思って挑戦し、
正社員として採用されたのも束の間――

年下のお局さん。
感情の起伏が激しく、
誰にでも八つ当たり。

子育て世代の社員は少なく、
子どもを理由に休むと
空気が一気に重くなる職場でした。

また心がすり減っていきました。

そして、「子供が不登校」になり苦痛な日々・・・。

その後、ご縁があって
以前いた会社に出戻ることになりましたが、
どこか自信を失った自分がいました。

「やっぱり年齢かな…」
「資格がないからかな…」
「私には何もない…」

何かに縛られているような感覚。
理由のわからないモヤモヤ。

心はまた、
お豆腐みたいに崩れやすいメンタルに逆戻りしていました。

そんなある日、
派遣先の上司に言われた一言。

「気づくと、いつも誰かの相談に乗ってるよね」
「あなたの元気ややる気って、どこから来るの?」

その言葉をきっかけに、
ふと思い出したんです。

以前の会社の社長が言ってくれたことを。

「君はコンサルとか向いてるよ」
「先見の目がある」

ああ…
私が自然とやってきたことが、
誰かの役に立っていたんだ
・・・。

そう気づいた瞬間でした。

ここから、
私の人生は少しずつ
「自分のため」に動き始めたのです。

波乱万丈の私の人生が、幸せへと好転した現在

波乱万丈だった私の人生は、
今、胸を張って「いちばん幸せ
と言えるところまで辿り着きました。

その大きな転機は、
高校時代の部活の恩師との再会でした。

たまたま子供の大会で、
思いがけず再会した恩師。

そこで紹介されたのが、
心理×メンタルトレーナーの方でした。

その方に、
「よくここまで頑張ってきたね」
そう声をかけてもらった瞬間――

理由もわからないまま、
涙があふれて止まりませんでした。

ずっと入っていた力が抜けて、
心がふっと軽くなるのを感じました。

「私は、ずっと頑張ってきたんだ」
初めてそう思えた瞬間でした。

これまでの人生で経験してきた
つらさや傷は、
無駄ではなかった。

傷があったからこそ、
本当に大切なものに気づけた

そう心から思えるようになったのです。

そこから私は、
メンタルトレーナーの学びを始めました。

学べば学ぶほど、
バラバラだった出来事が
点と点が線になるように
つながっていく感覚がありました。

心理学、自己理解、宇宙理論、スピリチュアル、起業講座。
「知りたい」「理解したい」
その想いで、講座やセミナーに足を運び続けました。

今振り返ると、
起きた出来事はすべて
「なるほど」と腑に落ちるものばかり。

学びの中で知った
ツインレイとの奇跡の再会もありました。

そして気づいたのです。

今の自分をつくっているのは、
環境でも他人でもなく、
自分自身のマインドだということ

そこから生まれたのが
自分対話術』です。

これまで多くの方とセッションを重ね、
母校では生徒さんや保護者の方に
「心の在り方」を伝える立場にもなりました。

その中で、
私の役割がはっきりしました。

それは、
かつての私のように
アダルトチルドレン、愛着障害、HSP気質など、
生きづらさを抱えながらも
必死に生きている方に寄り添うこと。

一人で抱え込まなくていい。
一緒に向き合えば、
必ず道は見えてくる。

そう信じて、
私は今、活動しています。

変わりたいと思った
今、この瞬間」から、
人は必ず変われます。

あなたも、大丈夫です。