プロフィール

安心できる場所が欲しかっただけなのに・・・

アダルトチルドレン、
愛着障害だった私の人生!

もう我慢しないで大丈夫。
思うままに生きられるようになる!

初めまして!
心理カウンセラー×スピリチュアルカウンセラーの豊田梨桜(とよだりおん)です。

自分の心の内を話すのは、とても勇気のいることだと思います。

カウンセリングをする上で大切なことは、カウンセラーとの相性がカギとなります。
一緒に幸せな未来に向かうためにも、私のことを知ってご理解いただけたら嬉しいです。
長くなるので、もちろん飛ばし読みしていただいても大丈夫です。

詳しいプロフィール

目次

アダルトチルドレンの根源が生まれた幼少期

私の幼少期は、他人から見たら理想的な温かな家族に見えていたはずなんです。
でも、外面仮面をつけた家族だった。

私は外での活動やスポーツが大好きで、特に近所のスポーツクラブに通い始めた小学校3年生からは、新しい友人との出会いやチームワークの大切さを学び毎日が充実して楽しかったんです。
しかし、そんな充実した日々にも長くは続かず、暗い影が忍び寄りました。

クラブでのいじめや指導者からの体罰、罵声、家庭内でも躾は厳しく、ビンタや家からの締め出しは普通で、頑張っても褒められることがないのは普通のこと、不穏な空気が私の心に影を落としはじめ、子供ながらに心を閉ざし、心を開くことが怖くなっていきました。


母は世間体を気にする人で『~ちゃんは成績が優秀ですごい』『~さんはいつもブランドものばかり着てる』など、誰かと比べて優位に立っていれば安心し、そうでないと『どうしてできなの?』『~さんはいいわよね。』と常にだれかと比べていました。
母は感情のコントロールができない人

父は会社を立ち上げ、毎晩の様に接待などで、遅い日が続き、父の浮気が原因で、夫婦喧嘩が絶えなくなっていきました。

この状況は、私たち家族に不安定さを生み出し、姉弟と私はそれぞれの部屋に籠るようになりました。
『全国大会で2位に入っても、学校の成績が良くなっても、上には上がいる!努力足りないんじゃない?』と褒めらてることはなかった
頑張っても褒めてもらえない・・・
誰かと常に比べられる・・・
認めてもらえない・・・
失敗したら叩かれる・・・
怒られる・・・
怖い・・・

いつも誰かと比べていた学生時代

中学から高校の頃、家庭内が一番最悪な状態になった。
私自身も、不安定になっていった。

ほぼ毎日の様に、父と母のケンカの声。
ケンカが始まりそうになると、リビングから各自の部屋へ避難。
早く終わってほしいと、ずっと願っていた

その一方で、学校では自分自身も誰かと比べて、落ち込んだり、喜んだりするようになっていた。

『誰よりはテストの点数がいい』『誰よりは、目が小さくてブス!』っと誰かと比べては『ない!』ものばかりに目が行くようになり自己否定の毎日!!友達といても無意識のうちに比べる癖がついて『わたしはこの子に勝てるところないな』『友達多くていいな』など、気持ちのアップダウンが激しくて学校に行くのがつらくて仕方なかった。

自分ができないから仕方ない、自分には才能なんてない、自分が悪い、自己否定の日々が長く続いていきました。

心では褒めてほしかったのに・・・
認めてほしかったのに・・・
ただそれだけだったのに・・・
自分が生きてる意味を見失う・・・

やりたいことがあっても出来ずに大学へ進学

高校3年生の時、進路が決まらず悩んでいた。
部活動の先生から『体育大学どうだ?』と提案があった。

私は、選手として続ける気力もなくなっていた。
先生は『もったいないよ選手じゃなくても、サポート側の勉強もできるぞ!』と、提案してくれました。

私はそれならやってみたいと思い、両親に相談した。
父は『何でもやってみればいい』と言ってくれたが、母は『絶対にダメ、家から通える場所にしなさい、東京なんてもってのほか、変な虫でも着いたらどうするの?、危ないからダメ』と言い、何度説得しても、頑として認めてくれなかった。

そこからまた両親の言い争いが始まり、それに耐えきれずに地元も学校に進学した。

他人の評価が怖くて頑張った社会人時代

就職先が早々にきまり、入社した会社は、ブラック企業
病欠すると、ほかの休みを削って出勤するのが当たり前、ノルマはクリアできて当たり前、クリアできないと個別ミーティング、年末年始休みなし、長期休暇なんてなし、できない自分がどんどん嫌いになっていく・・・

後輩が入ってくると、先輩と後輩の板挟み状態。

上司にい頼まれると『嫌と言えなずに、空気を読んでできます。やります。』と言ってしまう自分・・・。

『君はできる子だから』っと『できる人』で居続けなければいけない、私がやらなきゃみんなに迷惑をかけてしまう、お客様のとのトラブルさえも相談できずに怒られる、そうやって自分を奮い立たせては、仲間に上手に頼れない、できる自分になりきって、自分の中で『私が悪かったんだな』と反省し、周りからの評判、上司からの評価ばかり気にして精神的に追い詰められては、泣いたり、買い物に走ってはまた同じことの繰り返し・・・

心が満たされない恋愛

社会人になって、それなりに出会いもあり、恋愛もしました。
付き合い始めの頃は、それはそれは楽しくて毎日が充実して、なんでも頑張れる気分になりました。

でも、付き合いが長くなるにつれて、私は相手に依存し、尽くすようになりました。
相手のいうことを聞いて、相手の喜ぶことをして、自分よりも相手を優先し、ダメンズを作っていることに気づかずに、気づけばいつも相手が束縛DV男になっていった・・・。

いつもかかってくる時間に連絡がないと、不安と怒り、浮気してるんじゃないか妄想しては、イライラの繰り返し、自分の思い通りにならないと相手を疑いケンカ。
自分と同じような人と付き合い、つらくなっていく・・・。

本当なら好き同士、相手を思い合って、お互い笑顔で楽しく平穏な日常なはずなのに、自分に自信が持てない私は、相手も試すようなことばかりして、相手にも同じことを返されて、気持ちの確かめ方が間違った形になって別れてきた。

気づけば、毎回同じようなパターンの恋愛になっている。

ただ、愛されたい、認められたい、という気持ちが強すぎて依存と執着心が植えついて、私は幸せになれないと思い込みました。

我慢ばかりの結婚生活(死にかけた出産)

やっと結婚して、自分の居場所ができたのも束の間、夫は亭主関白気質
お米を炊くどころか、洗濯物も雨でも取り込まない、家事は一切できない人でした。
俺が稼いだお金、生活費は、俺のお金という認識の人で、お金のことがきっかけでケンカが勃発!新婚2か月で別居が始まりました。

別居しても、連絡が来ることも迎えが来ることもない。

なんで結婚したんだろうと思いながらも、世間体を気にして自ら戻り・・・その後も、誰かとどっかに出かけるのに場所と時間の報告、許可がいる。

毎日、作ったお弁当はそのまま持って帰って破棄するだけ。

夜中に帰ってきても、あたたかいご飯を出さないと機嫌が悪くなる。

何か頼んでも、仕事で疲れてる一言。

掃除は汚れるから無理。

旅行も行くだけで、予約や準備はこっちの仕事。
不満と我慢の連続・・・。

程なくして赤ちゃんができました。
赤ちゃんができたら夫が変わると思っていた。

嬉しい気持ちと不安な気持ちが交差しながらも、毎日平穏な日々が続き、検診の日に性別がわかりました。
夫から言われたひとこと、『男の子がよかった・・・』急に涙が出ました。
そんな私をみて夫は『うそだよ!冗談』と言いました。

許せなくて、毎日イライラしていました。
それでも、自分さえ我慢してれば、平穏に暮らせるから、夫の顔色を伺いながら言いたいことも言えずに我慢して家事を頑張っていました。

8か月のに入る頃、定期検診があり、夫と病院に行く日の朝、
『私はとうとうキッチンで倒れて、気を失って意識不明に!!』
意識が戻らないまま、私が目を覚ましたのは次の日の朝で、ICUでみんなに囲まれていました。

私と赤ちゃんの病院生活が始まりました。

私は検査を受けながら、赤ちゃんがいるNICUに行き保育器で、管だらけのわが子を目の当たりにしました。
無事でよかったと思う反面、助からないほうが幸せだったかもっという気持ちが交差して、病院で一人になると、毎日のように泣いてました。

『なんでちゃんと産んであげられなかったんだろう?』『目も見えない、耳も聞こえない、声も出せなかったらどうしよう』『私のせいだ』『なんで私ばっかり不幸なんだろう』と毎日毎日、自分責めでいっぱいいっぱいになりました。

出産で死にかけたからなのか、そのころから人が考えてることが直感でおりてきたり、感覚で分かるようになり、余計に疲れて人の顔色を伺うようになっていきました
のちに・・・スピリチュアルに出会うきっかけとなる出来事だったと、今は思います。

子育て中に夫婦関係に亀裂・・・離婚

子どもが幼稚園の年長さんに差し掛かる頃、夫は転職を気に職場でいじめに合い、うつ病になり働けなくなりました。

自殺願望をほのめかし、夜中、家族で寝てるときに奇声を挙げたり、眠れず溜息をしたり、呼吸困難になり、私も子供も不安定になっていきました。

子供が幼稚園の先生に『パパが笑顔になる方法はありますか?』と相談し、先生に『ご家庭で何かありましたか?子供が不安定で、お漏らしするようにもなってます』っといわれ、私自身もまた、ママ友の付き合いやママ友カーストに疲れ果てて、それでも『私がしっかりしなきゃ、私が守らなきゃ、私が頑張らなきゃ、私が悪いんだ』と頑張っては一人で泣き、踏ん張って耐えていました。
どうにか夫の再就職が決まったのも束の間、夫は思い通りにならない子供に手を挙げるようになっていきました。

そして私も母親と同じように、子供を他人の子供と比べて『なんでできないの?こうしなさい!』という親になっていました。

とうとう限界を迎えて離婚に至りました。

歴史は繰り返される・・・私はいい妻にも母親にはなれない・・・悲しい現実・・・。

焦りと不安だらけのシングルマザー奮闘記

人のシングルマザーになり、専業主婦だった私は、焦りと不安それでも子だもたちを食べさせて行かなきゃいけない重圧を勝手に背負い込んで、奮闘の日々

とにかく、市役所や職安に行って相談、学校のPTAも、自治会も子ども会役員も、習い事の送迎もこなし、身も心もしんどいくて、でも頑張らなきゃいけなく・・・。

まずは、就職活動、すぐにいいところが決まらないと思っていたのと、専業主婦になって5年、再び社会に出る不安もあり、派遣社員として働き始めると、『社員にしたいくらい!!』と言っていただいたり、働くことが楽しくなり、自信が付いたので再び就職活動をしました。

すぐに『正社員として採用されたのも束の間、年下お局が・・・・』アップダウンの強い人で、誰にでも八つ当たり・・・。
子育て世代の社員も少なく、子供理由で休むと雰囲気が悪くなるような会社でした。

再び、ご縁があって、前にいた会社の出戻り・・・。
どこか自信がなくなって、ネガティブになる自分・・・
やっぱり年齢が・・・。
資格が・・・。
何かにとらわれている自分・・・。
もやもやが続く・・・
まさにお豆腐のようなメンタルに逆戻り・・・。

そんな時、派遣先の上司に『あなたは、気づくといつも誰かの相談に乗ってるよね?』『あなたのやる気や元気はどこから来るの?』っといわれたことがきっかけで、よく考えてみると、前の会社の社長にも『君はコンサルとかやったらいいよ‼』『先見の目がある』っといわれたことを思い出し、今の活動のきっかけとなりました。

波乱万丈の私の人生が、幸せへと好転した現在

波乱万丈の私の人生が、今が一番幸せといえるくらいになりました。


それは高校生の時の部活の恩師存在です。
たまたま行った体育館で恩師と再会しました。

そこで恩師から紹介された『心理カウンセラー兼メンタルトレーナー』の方と出会いがあり,『よくここまで頑張ってきたね』と声をかけてもらって、気が付かないうちに涙があふれて、肩の力が抜けて心が軽くなっていくのを感じていきました。

これまでの人生の辛い経験や傷は、自分の成長、価値、武器、受けてきた傷があるからこそ、心から大切なものへの気づき、豊かさ、愛を素直に感じ受け入れられるようになったんだと思います。
そこから私は、メンタルトレーナーの勉強を始じめ、勉強をしていると点と点が線になるように、結びついていくことが分かり、心理学、宇宙理論、スピリチュアルを知りたくなり、さらにセミナーや講座を受講し勉強を始めました。

今は、なるほどと思える出来事ばかりで、学びで知ったツインレイと奇跡の再会!学んだ結果、結局は自分のマインド今の自分を作っているということが分かり、『自分対話術』が生まれました。

いろんな方とセッションしたり、母校で心の在り方について生徒、保護者に教える立場になる中で、私にできることは、私の様にアダルトチルドレンや愛着障害、HSP気質の方の悩みや不安を抱える人と一緒に問題を解決して、幸せに導くお手伝いがしたいと強く思い活動しています。

変わりたいと思った『今』この瞬間から、必ず変われます!